私は昭和四十六年、栗原家の次男として川越市岸町に生まれ育ちました。
当時、祖父は川越市議会議員を、父は地元の自治会長をさせていただいたこともあり、毎日地域の方々が来られ、地元の会話が飛び交う賑やかな家であったと記憶しております。
祖父は私が幼少の頃に他界しましたため、議員としての祖父の思い出はあまり残っておりませんが、祖父亡き後、父は子どもである私から見ていても「いったいいつ休んでいるのだろう」と思うほど、常に地域を気にかけ、何かあれば一番にかけつけ、揉め事があれば率先して割って入り、呼ばれれば寝る間を割いて行く、家業は二の次、最優先は地域を守ること、最期は息を引き取る2時間前まで自治会役員に電話で次回イベントの心配点を伝える、そのような姿勢を貫き通す人間でした。

そのような父の背中を見て育った私は、40歳を迎えた際、人生80年、折り返し地点、誰のため、何のために働くのか、と我に問いかけたとき、胸をよぎったのは我が父の姿勢、母の優しさ(母は急死で看取ることができませんでした)、生まれ育った実家の牧場、よく遊んだ沼、豪雨のたびに浸水する近所のおじさんの家、見かければいつも荷物運びを手伝っていた隣のおばあちゃんなど、地元川越のことでした。

それまでサラリーマンとして長年勤めていた会社では、「24時間、365日、ただただお客様のために」の会社理念のもと、厳しい会社ではありましたが、自ら寝る間も惜しみ現場から首都圏責任者まであらゆる角度からサービス業を学ばせていただきました。
40歳を過ぎた時、これまで学ばせていただいた「お客様第一精神」のもと、「ただただ地元のため」働きたいと考え、市政へ挑戦することを決意した次第でございます。
また、2017年には、川越で事業をして川越に貢献したい、自分が出来なかった親孝行の続きをしたいとの思いから、川越にて会社を立ち上げ、「地域と共に生き、共に支えあい、共に成長し、地域に貢献します」との経営理念のもとデイサービスを運営させていただいております。
これまでの議員活動の中で、自身がこれまで民間企業で携わっておりました「介護・福祉」の経験を活かし、乳幼児健診のガイドライン策定、障がい者雇用の促進、在宅医療の基盤整備、災害時の要支援者避難支援、空き家利活用などを市に提言して参りました。
これまで歴史ある川越をつくり守ってこられた方々がいつまでもご自宅で、住み慣れた地元で、その人らしく過ごせる、そして若い世代に良き川越を承継していける、そのような街づくりを目指したいと考えております。
今日まで地元川越の皆様に御育て頂いた感謝の心を胸に、全力で地元川越のために今後も尽くしてまいる所存です。どうか、貴台様の御支援を賜りますよう心より御願い申し上げます。
